世界遺産・清西陵・盧溝橋日帰りバス旅へ行ってきました!

2021-03-04
2019年11月23日(土)
世界遺産・清西陵・盧溝橋 日帰りバス旅  へ行ってきました!
今週は水曜日まで、大寒波の影響か風が強く、マイナスの温度が続く一週間。
週末まで寒さを引きずったら、寒い土曜日になってしまう・・・と心配でしたが。
曇り空ではありましたが、風のない週末。
あまり気温も下がらない早朝に清西陵のある保定市へ向けて出発しました。
亮馬河飯店を出発後、長富宮飯店を出発したところで、ちょうど日の出の時間。
天安門前の通りが、国旗掲揚のために、しばしの間、通行止めに。
国旗掲揚直後の天安門を通り過ぎる事が出来て、ちょっと得した気分も感じながら、
清西陵へ。・・・・・渋滞もなく、予定通りに到着しました。
まずは雍正帝の陵墓である「泰陵」へ
風水に基づいて設計されているため、手前には必ず水路(川)があります。
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雍正帝の功績を記した碑       皇帝の死後、あの世で座る玉座も。
続いて、光緒帝の「崇陵」へ
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立派な碑楼が建てられています。
    清西陵の中で唯一、光緒帝の地下宮殿だけは、一般公開されています。
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大きな一枚石の扉には美しいレリーフが刻まれてますが、
全体的には、清東陵に比べてシンプルな造りです。
光緒帝は日本の明治維新を手本にして近代化路線をとり、同 24年,変法派の康有為らを登用して新しい政治を目指しますが、戊戌(ぼじゅつ)変法により、
西太后一派に鎮圧され、以後西太后摂政下において幽閉状態となってしまいます。
・・・・・いわば、「悲劇の皇帝」。
西太后の死の前日に死去し、その死の原因がさまざまなミステリーに描かれ、
いろいろな歴史学者やマスコミの話題をさらいました。
近年になって光緒帝の遺髪から多量のヒ素が検出され、毒殺説が有力になったそうですが、
真相は明らかになっていません。
皇帝でありながら、権力を持てず、自分の思い通りに出来ない無念・・・・・。
・・・どんな思いで、死を受け入れたのでしょうか・・・。
       いろいろと感じながら、陵の前で集合写真を撮りました。
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そして、この清西陵で、有名なのが、「ラストエンペラー溥儀のお墓」
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人生の最後を一般市民としてその生涯を閉じた溥儀は、
死後まもなく八宝山に葬られたそうです。その後、時代が変わって、
愛新覚羅家の希望もあり、同じ一族として眠らせてあげたい、とこの場所に移されたそうです。事前の予約では見学OKだったのですが、
行った当日は、お葬式があり、中には入れませんでした。
     清王朝の寺、永福寺も見学。
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清西陵の見学の後は、近くの満州族の村のレストランで、満州料理の昼食。
わりとあっさりした味付けで、おいしい!!
濃厚な鹿のシッポや豚の骨付き丸ごと煮込み焼きなど、ワイルドで素朴な料理を
楽しみました。
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昼食後は、盧溝橋へ。宛平城にある中国人民抗日紀念館も見学しました。
館内は、近代から現代へと、時代別に詳細な歴史の記録が展示されていました。
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そして盧溝橋
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古くから美しい名月の名所として知られた盧溝橋が、血なまぐさい戦争の現場に―――
――――あの時代がそういう時代だったとはいえ、いろいろと考えさせられます。
この時季なので、盧溝橋を出る頃には暗くなりつつありましたが、大きな渋滞もなく、
無事に長富宮飯店・亮馬河飯店に到着する事が出来ました。
「なかなか行かない世界遺産シリーズ」として、
11月16日の清東陵と11月23日の清西陵。
寒いこの時期での、2週連続の土曜日でしたが、多くの会員の皆様にご参加いただき、
心より感謝を申し上げます。
皆様、大変お疲れ様でした。ありがとうございました。