世界遺産・清西陵・盧溝橋 日帰りバス旅へ行ってきました!

2021-03-04

北京旅行倶楽部 活動報告

11月28日(土)
世界遺産・清西陵・盧溝橋 日帰りバス旅 へ行ってきました!

週の初めから冷え込み始め、本日も寒い土曜日になってしまいましたが、
早朝に清西陵のある保定市へ出発しました。
途中、SAでトイレ休憩の後、清西陵へ渋滞もなく、予定通りに到着しました。

まずは雍正帝の陵墓である「泰陵」へ
20201128qingxiling (1)20201128qingxiling (2)風水に基づいて設計されているため、手前には必ず水路(川)があります。

20201128qingxiling (3)雍正帝の功績を記した碑

20201128qingxiling (4)

皇帝の死後、あの世で座る玉座もあります。

続いて、光緒帝の「崇陵」へ
20201128qingxiling (5)立派な碑楼が建てられています。

そして次は光緒帝の陵墓へ

清西陵の中で唯一、光緒帝の地下宮殿だけは、一般公開されています。
20201128qingxiling (6)大きな一枚石の扉には美しいレリーフが刻まれてますが、
全体的には、清東陵に比べてシンプルな造りです。
革命が起こってから建設されたため、「節約」して建てられたそうです。

光緒帝は日本の明治維新を手本にして近代化路線をとり、同 24年,変法派の康有為らを登用して新しい政治を目指しますが、戊戌(ぼじゅつ)変法により、
西太后一派に鎮圧され、以後西太后摂政下において幽閉状態となってしまいます。
・・・・・いわば、「悲劇の皇帝」。

西太后の死の前日に死去し、その死の原因がさまざまなミステリーに描かれ、
いろいろな歴史学者やマスコミの話題をさらいました。
近年になって光緒帝の遺髪から多量のヒ素が検出され、毒殺説が有力になったそうですが、
真相は明らかになっていません。
皇帝でありながら、権力を持てず、自分の思い通りに出来ない無念・・・・・。
・・・どんな思いで、死を受け入れたのでしょうか・・・。

そして、この清西陵で、有名なのが、「ラストエンペラー溥儀のお墓」
20201128qingxiling (7)人生の最後を一般市民としてその生涯を閉じた溥儀は、
死後まもなく八宝山に葬られたそうです。その後、時代が変わって、
愛新覚羅家の希望もあり、同じ一族として眠らせてあげたい、とこの場所に移されたそうです。

清西陵の見学の後は、近くの満州族の村のレストランで、満州料理の昼食。
満州族は鹿の肉を常食していたので、鹿肉のお料理が出されました。
濃厚な鹿のシッポや豚の骨付き丸ごと煮込み焼きなど、ワイルドで素朴な料理を
楽しみました。
20201128qingxiling (8)
昼食後は、盧溝橋へ。宛平城にある中国人民抗日紀念館も見学しました。
20201128qingxiling (9)館内は、近代から現代へと、時代別に詳細な歴史の記録が展示されていました。
20201128qingxiling (10)
コロナの影響で、閉館時間が早まっており、早くクローズしてしまい、
盧溝橋の中へ入場することが出来ませんでした。皆様、大変申し訳ございませんでした。

その後、少し渋滞しましたが、無事に長富宮飯店・亮馬河飯店に到着する事が出来ました。

「なかなか行かない世界遺産シリーズ」としての、清西陵。
寒いこの時期の土曜日でしたが、会員の皆様にご参加いただき、
心より感謝を申し上げます。
皆様、大変お疲れ様でした。ありがとうございました。