北京旅行倶楽部 活動報告
2021年3月6日(土)
早春の川底下村 お散歩トレッキング
数日前から天気が悪く、気温も下がり気味な週末でしたが、
北京郊外にある明の時代の四合院が完全な形で残る村、川底下村に行ってきました~。
川底下村に到着後、まずは、村の住民ガイドさんの案内で村内を見学しました。
この村は、600年前に強制移民させられた一族により形成された村のため、村民の99%の苗字は「韓さん」。
山西省や内モンゴルとの交易路・一般道として使用された重要な道路が村の前を通っているため、
軍事的にも商業的にも、大変重要な場所に位置するこの村は、村が形成された初期から、北京と山西省・内モンゴルとの交易の拠点としても、かなり繁栄したそうです。
村の名前も、もともとは「爨底下村」と呼ばれていたそう。チュアンという発音が「川」に似ていたため川の字を当てて「川底下村」という名前になりました。
「爨」という字は、あまりにも難しく、今では中国人でもわからない難解な漢字だそうです。
村の住民たちは、観光地としても有名になりつつあるので、この難しい「爨」という字を、数え歌で覚えるようにしているとか。
村では、中国の昔ながらの宗教・道教が信仰されています。
細い石段の道に沿って、屋根が重なり合うように住居が連なっています。
面白いのは、家によって身分が厳格に決められており、階段の段数で、その家の「格」を現しているのだそう
です。階段の段数は必ず奇数で、5段の階段の家は、7段の階段の家とは結婚できません。夜中にお目当ての娘さんの家に忍んで会いに行ったとしても、真っ暗な中、娘さんの家の階段を登る時に、
その段数で自分と結婚できるかどうかが、わかるというもの。
自分の家の階段よりも数が多くて、彼女を諦めなきゃいけない、というのも、なかなか切ないもんですね・・・。
そして、これが、村の貴重な遺産です。清の時代の絵画、毛沢東時代のスローガン、抗日戦争時代のスローガンと、3つの時代のスローガンがこの壁に描かれています。
村内観光の後は、集落を一望できる展望台まで登りました。
標高が600m近くにあるこのエリア、朝から寒い感じでしたが、ここで、まさかの「なごり雪」が・・・。
気温が低いため、凍結している部分もあり、足元に注意しながら、展望台までおそるおそる登りました。
周囲を山に囲まれ、大自然の要塞の中に村があることが、よーくわかります。
周囲の山には自然の幸がいっぱいで、山菜やキノコ類、アーモンドやその他の木の実が豊富に採れるそうです。
展望台を下りた後は、農家レストランへ。
村の裏山で採れた花山椒の天ぷらや、地鶏の煮物、新鮮な卵を使った香椿の卵焼きや山盛りの羊肉など、山西省の流れをくむ、「川底下村の味」をお楽しみいただきました。
北京市街から川底下村までは、途中までは高速道路ですが、途中からはくねくねの山道です。
普段はなかなか行けない場所ですが、ご参加いただきました皆様、ありがとうございました!!